違和感を感じることの大切さについて思う
本日の日経新聞朝刊を読んでいて、「スローな教育改革」という記事が
一面左にありました。「生産性考」というシリーズもので4回目のようです。
出だしから、違和感を感じました。
端的に述べると以下の通り。
「大阪府立高校で起こった黒染め強要は思考停止に陥った日本の教育の
一面を写している。」
↓
「出る杭を伸ばすよりも、一定の枠内に当てはめようとする。」
↓
「かつての日本では画一的な教育が生産性を高め高度成長を支えた。」
↓
「しかし、基礎学力の高さが必ずしも生産性に結びついていない。」
「一面を写している」という限定的な書き方をしているにしても、
論理構成として作り方が強引すぎると感じますし、必要とされている多様性が
なんのどのような、多様性か十分に述べられていない点も気になります。
記事を批判しているのではなく、批判的に見ることが大事なのだと思います。
そういった意味では新聞は良いトレーニングになると感じています。
最近はバラエティ番組でもかつての昭和を懐かしむ内容を含んだものが
多く感じます。以前は無邪気に笑っていたバラエティ番組もある意味
「つまらなく」なってきました。感情とは異なった理性的な面で見るから
なのでしょう。
誰もが言論を公表できる時代で、日常が複雑化しすぎているのかもしれません。
おそらくそれで良いのだと思います。
私は、昭和の毒を食べすぎて麻痺しているのかもしれません。